「ひきこもり」ではなく「生きづらさを抱えた人」



当プロジェクトの名称
「生きづらわーほりプロジェクト」
そして当プロジェクトが掲げているミッション

「生きづらさを抱えた人たちがつらさに折り合いをつけられる環境を創る」

 

これらには「生きづらさ」というキーワードが入っています。
今回は、この言葉に対する私たちの思いの一部を綴ります。

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当プロジェクトが行っている活動は、いわゆるひきこもり当事者や経験者を対象者(ゲスト)として考えていますが、私たちはその対象者のことを「ひきこもり」※1ではなく「生きづらさを抱えた人」と捉えています。
これはどういうことかというと、「ひきこもり」というのは物理的にひきこもっている状態にある人を指す※2言葉ですが、当プロジェクトではその状態像に特別こだわる必要はないと考えているということです。

たとえば、「最近当事者会に毎週行っています」とか「週2でアルバイトはじめました」とか、そういう人たちは前述の「ひきこもり」という状態ではなくなっていますよね。実際に私たちは、そういう方たちにもたくさんお会いしてきました。
でもそのように活動を始めたからといって「ひきこもり」状態の時に抱えていたつらさがすぐに無くなったかというと決してそうではなく、本人の中では別にそんなに変わったわけではない(らしい)のです。もちろん渦中のときに比べると多少は変わっているのかもしれませんが。

本人が抱えている‘つらさ’という本質的な部分は同じなのに「ひきこもり」状態かどうかで線引きしてもしょうがない、というか「線引きはしなくても良い」「線引きはしたくない」と私たちは考えています。
そのため私たちは「ひきこもり」に代わる言葉として「生きづらさ」※3という言葉を使い、‘つらさ’という部分に視点を当てて活動しているのです。

これまで「ひきこもり」状態にはなったことは無いという方でも同じような‘つらさ’を抱えながら働いている場合もあるはずですし、そういう方をサポートすることもやぶさかではありません。また逆に「ひきこもり」状態であっても「別につらさなんて何もないよ」という方がいたとしても、それに対して否定的な考えもありません。

そういうわけで、あらためまして、
私たちは「ひきこもり」状態かどうかにかかわらず「生きづらさを抱えている人」に向けて活動をしています


(‥と、いろいろ語ってきましたが、実はこれは当プロジェクトがオリジナルで考えたわけではありません。とあるひきこもり経験者の方から学んだこと、教わったことなのですが、その話はまた別の回に書きたいと思います)

 

日本語って難しいですね。


それでは皆さま、おやすみなさーい。

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※1:本ブログでは便宜的に「ひきこもり」という表現を使っています。また後述の「生きづらさ」という言葉に関しても、文献等で調べたり、しっかりとした定義づけをしているわけではありません。

※2:ひきこもっている状態というのは、6か月以上外に出ていない、学校や会社に行っていない、家族以外に対人関係がない、などが挙げられます。「ひきこもり」の定義に関してはいろいろと意見はあると思いますが、本ブログはその定義の是非について論じようというものではありません。

※3:「生きづらさ」というと社会にはひきこもり以外にも、貧困やLGBT、障害、難病、虐待など様々な生きづらさがあります。私たちはいわゆるひきこもりを想定して活動を行っていますが、それら他の生きづらさについても全く関係ないとは考えておらず、他の生きづらさとの間に壁を作るようなことはしたくないと考えています。また、「人生はつらくて当たり前」「誰だってつらいんだから甘えるな」といった文脈で使われる「つらさ」とは異なるものであると認識しています。